最近、自分の限られたリソースをどこに投下するのが合理的かということをもの凄く考えるようになった。


半年前は、正直そんなこと全く考えてなくて、先輩や同僚に誘われたら飲み会にホイホイついて行っていたし、その飲み会の流れでキャバクラみたいなところに行ったし、家に帰ればyoutubeで動画をザッピングしたりネットサーフィンしたりしていた。飲み会とキャバクラに行けば、1万円くらい使ってたし、youtubeやネットサーフィンで3時間くらい使ってた。


それが恋愛工学を学び、初めてストナンからゴールを生み出し、A級美女にも戦略的にゴールし、界隈の先輩・同志の皆さまとツイッターやオフで会って話したり、伝説の恋愛プレイヤーの方のブログを読んだりVoicyを聞いたり、金融日記を何度も読み返したりしていると、自然と合理的な思考が身についていた。徹底的にありのままの現実的を見て、経済合理的に考え、行動することである。


自分のお金、時間、気力、体力は有限であり、どこに投下するかはしっかりと考えて生きるようになった。


そこで最近めっきり行かなくなったのは「会社の飲み会」である。

飲み会



●桐崎の流儀①飲み会を断る(Note

https://note.mu/kirisaki_tv/n/n9f590329286f



半年前は週3くらいで飲みに行ってたし、激しく酔っ払ったまま風呂にも入らないで帰宅後直ベッド、翌日バキバキになりながら出勤するということがザラだった。しかし、最近ではこういうことが一切なくなった。


なぜなら、会社の飲み会は自分の限られたリソースの無駄遣いだからである。会社の飲み会に行くと、自分の金、時間、体力、気力のすべてが失われるのだ。


飲みニケーションという言葉があり、飲み会で仲良くなって人間関係を作り、仕事を円滑に進めようという考え方があるが、あれは幻想である。仕事での人間関係・信頼関係は、仕事を通じてでしか作れない。飲み会なんぞ一切いかなくても、仕事を真摯に取り組み、ギバーの精神で働いていれば、仕事上の人間関係は十分作れるし、コミュニケーションがとれる。


むしろ、仕事での信頼関係が築けていないのに、飲み会で信頼関係が築けるわけがない。仕事は仲良しクラブではない。部署間でも利害が対立することがしょっちゅうだし、時に厳しい意見を交わさなければいけないことがある。それの前では、飲み会で築いた上っ面の人間関係なんかあっという間に吹き飛ぶ。仕事で、能力で信頼を勝ち取るしかない。


つまり、仕事で人間関係を作れていれば、飲み会で仲良くなることなど不要なのだ。


では、なぜ俺は過去にあんなにも飲み会に行っていたのか。呼ばれたらホイホイ付いていっていたのか。それは、自分に自信が無かったから、である。


仕事が出来なくて、仕事のパフォーマンスに自信が持てていなくて、周囲とコミュニケーションが取れているという実感がなかったから、飲み会に行くことで点数を稼ぎたかったのだ。自分の自信の無さの表れだ。ただのピエロ野郎。飲み会を断れば、減点されるとおびえていたのだ。


仕事で信頼されるためには、仕事頑張るしかないのである。こうしてできあがった本当の意味での信頼関係は、飲み会なんかで出来る「この人面白い」なんていうフェイクとは一線を画す。飲み会で打ち解け合ったと思っていたのに、翌日はいつも通りの仕事のやりとりでよそよそしくて、何も人間関係がステップアップしていない、というのを良く経験した。


会社の飲み会に行っても得られるものは僅かである。勇気を持って断り、自分自身を高めるために、お金、時間、気力、体力を使おう。


他方、歓迎会や送別会は性格が異なる。俺が断る会社の飲み会は、目的のない「ちょっと飲みに行こうよ!」という飲み会だ。今までお世話になった人を送り出すこと、これから迎え入れる人を歓迎すること、こうした飲み会には参加していいだろう。


これは、人間としての「義」であると思う。一人で仕事は成し遂げられない。組織に来る人、出る人への気持ちである。


来月、本当に仕事でお世話になった人が、職場を去る。この飲み会には参加し、最高にスパークして、彼を送り出そうと思っている。