今の妻と出会って10年、結婚して6年、子どもが生まれて5年の歳月が過ぎた。


かつてのラブラブなカップル時代はどこにいったのか。今では妻はすっかり鬼嫁と化し、暴言・罵声の飛び交う家庭になってしまった。


お互いがお互いに対してストレスを溜め、家庭はすっかり「安らぎの場」ではなくなった。子どもに対しても悪影響を与えるくらい、夫婦間の言い争い、考え方の不一致による「激しい喧嘩」が頻発している。


そんな家族生活の一場面をふとTweetしたところ、「フロンを読んでみたらどうか?」と提案していただいたので、実際に岡田斗司夫氏の『フロン』を読んでみた。


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結論から言うと、今の自分にとても刺さる内容だった。なぜ今自分は家庭生活にこんなにもストレスを溜めているのか、何故妻はこんなにも鬼嫁と化し怒り怒り散らかしているのか、よく理解できた。それは、家庭内での役割分担が明確化されていなかったからだ。責任と権限の所在が曖昧なまま、育児や家事を運営していたからなのだ。


そう、それはまるで、大阪市長と大阪府知事という二人のリーダーが存在し、二重行政・二元行政の非合理性に染まり、どこに向かって進んでいるのか、誰が責任と権限を有しているのか整理されていなかった「大阪」のようなものだった。今こそ、感情を排し、ガラガラポンを行い、責任と権限を明確にし、役割分担を行った家庭を作らなくてはならない。そう、今の俺の家庭には、大阪都構想が必要なのだ。


無理をせず、ストレスフリーに生き、お互いが幸せになるために。



1 なぜこんなにも家庭生活がストレスなのか


なぜこんなに妻は鬼嫁と化してしまったのか。なぜ俺にとって家庭はこんなに居心地が悪いのか。


シンプルに言えば、ストレスがかかっているからである。


・家族は一緒に暮らさなければならない

・離婚してはいけない

・子供は愛さなければならない

・妻(夫)、子供に合わせなければならない

・自分のお金を自由に使ってはならない

・結婚した相手を愛し続けなければならない

・結婚した相手以外を好きになってはならない

・夫婦はいつまでも連れ添わなければならない


そう、俺も妻も、このような古臭い倫理観に囚われ、愛情への義務感に支配され、自由を奪われた圧迫感に苛まれているのだ。


夫婦なんて結局は他人同士である。つまり、他人に合わせなければならないという苦痛を味わい続けているのだ。それは、ストレスが貯まるはずだ。


普通に考えて、上に述べたような「ねばならない」「してはいけない」を遵守するなど正気の沙汰ではない。どこまで自分自身の感情に鎖を掛け、自由を排する生き方なのだろうか。この生き方をキープするためには、相手に対し、圧倒的な恋愛感情が必要になる。無理やり恋愛感情を捻り出すしかない。


そう、不可能なのだ。無理ゲーなのだ。


まず、この糞みたいな倫理観に囚われた中で家庭生活を運営していくのは不可能なんだと理解しよう。それがスタートラインである。




2 責任と権限を明確にし、役割分担をしよう


まず、子どもがいない夫婦は家族ではない。それは単なる同居である。


家族というのは、育児という共通の目的をゆうする共同体である。つまり、育児という事業を行うビジネスパートナーなのだ。


まずは冷静になり、家族をこう定義しよう。家族はある意味で子育てという事業を行う組織なのだ。


そして、家庭生活がこうも居心地が悪いのは、責任と権限が不明確であり、役割分担が全くできていないからなのだ。


だから、相手に対し「なんであなたは何もしてくれないの」という怒りが湧いてくるのだ。そう、どういう所掌・体制で家族が運営されているのかはっきりしないまま、なんとなく一緒に暮らしているからストレスが貯まるのだ。


そもそも、うちみたいな専業主婦家庭の場合、育児や家事に一番精通しているのは、母親である。子どもの一日がどういう流れて進んでいくのか、家事はどういう段取り・やり方で行われるのか、すべてを見えているのは専業主婦である母親である。


つまり、一家のリーダーは母親だ。父親が大黒柱である必要など全くない。父親は大黒柱でなければならないという洗脳が俺たちを不幸にしている。


母親は、家事・育児の素人である父親の自発的な貢献を一切期待してはならないのだ。期待するから、期待外れというストレスが生じる。


母親こそが、自分自身を家庭のリーダーとして強く認識し、決断力と責任感を持つ必要がある。父親に依存せず、甘えや頼りを持たず、あくまでも家事・育児の意思決定はすべて自分が行うとの明確な意思を持つのだ。「夫には一切頼るまい!」と決心しよう。


簡単に言っているが、これは妻にとっては劇薬である。自立を迫られるからだ。今までのように父親に甘え、「なんで何もしてくれないの!」と父親を理不尽に怒り散らかすようなことはできなくなる。責任と権限を持つというのはそういうことだ。


夫も「家に帰らなくちゃ」「家族との時間を増やさなくちゃ」との意味不明な義務感を持つ必要は一切ない。家事・育児の全体の流れを理解できない以上、家事・育児への勝手な介入は妻のストレスに直結する。夫は現金収入に責任を持とう。


そして、妻は家事・育児に責任を持つ。こうして、家のこと、子どものことはリーダーである妻が責任を持って意思決定する際に、あくまでも権限の無い範囲で意見具申するのが父親の立場だ。妻が専業主婦であるならば、ファイナンス面の妥当性・実現可能性をアドバイスするのも父親の仕事だ。


こう考えると、すっきりする。


夫は家事・育児のことなど考える必要がないし、権限・責任がない。妻は家事・育児について夫に一切の期待をしない。


自分が家庭の中で何をすれば良いのかがスッキリ明確になる。そうすれば、他者に対する不必要な期待は無くなるので、ストレスはうんと減るだろう。


妻が夫に対してできることは、時折「この皿洗いをお願い」「この買い物をお願い」という業務の一部アウトソースだ。ただ、これは同じ立場でのアウトソースではなく、あくまでもアルバイト・パートレベルの相手に外注するという意識レベルでやる必要がある。もちろんアウトソース先・分散先は必ずしも夫である必要はない。おじいちゃん、おばあちゃんでもいいし、家事代行サービスでも良いだろう。


夫は、このアウトソースは業務として受け入れる必要がある。妻に家事・育児のリーダーとなってもらう以上、業務の発注・指示には応じよう。そして、家事・育児に対しては、原則として、妻に助言できるに留まる。


この体制であれば、家庭生活における二重行政・二元行政が無くなり、橋下徹前大阪市長が構想した大阪都のようなものとなる。



3 結局、みんな自由に生きていい


本書で興味深かったのが、講談社『現代』2000年7月号からの引用。浮気は夫婦関係にプラスという調査の紹介である。


そうなのだ、自分の気持ちに正直に生きれないからストレスがたまるのだ。


・家に帰りたくないなら帰らなければ良い。

・他の人を好きになってしまったのならそれはとても自然なことであり否定しなくていい。

・子どもに不必要にお金を投資せずもっと自分のためにお金を使って良い。

・夫の世話がイヤならしなくていい

・一緒に住むのがイヤなら、別々に暮せば良い。


旧時代の価値観に縛られて、苦しまなくて良いような状況で勝手に苦しむことのないように、いつでも冷静に状況判断をし、経済合理的な行動をとれるようになろう。


その結果が、離婚だろうが、週末婚だろうが、それは人それぞれだ。ストレスを貯めず、苦しまないで生きるのが重要なのだ。価値観や倫理観に縛られ、息苦しくなるのはもうやめよう。




と、つらつらと書いたが、俺自身、家事・育児は妻がリーダー、責任と権限を明確にする、というマインドセットで生活してみただけでも、不思議なものでストレスがあまりたまらなくなった。


妻に何か言われたときに、「家事・育児の最終意思決定権者はあなただから、あなたが決めなさい」と言うと、妻は困惑しつつもどこか嬉しそうだ。リーダーであることを明言することで、妻の自尊心を高めることに繋がっているのかもしれない。


しばらくはこのようにゆる〜く『フロン』を実践していきたいと思う。フロンを理解し、家庭生活の中に根付くには多くの時間がかかると思うが、少しでもこのストレスフルな家庭生活が良くなり、結果として子どもにも良い影響を与えることを期待している。


すべては、家族ひとりひとりが幸せになるために。