ここ数ヶ月、人間関係に悩むことがあった。


自分とは価値観が全く合わない相手。

ガチガチに固まった固定観念を持つ人間。


俺からすれば、相手にしたくない「アホ」だったのだが、仕事上どうしても付き合わざるを得ず、多大なストレスを溜めていた。
そいつの顔が頭に浮かんでは、イライラして、生活に負の影響を及ぼしていたのだ。



そして、向こうの自分勝手な言い分があまりにも我慢できず、ついに真正面から議論をするに至ってしまった。


そのときの自分の相手に対する感情は、敵対心、怒り、不快感、嫌悪感だ。

言い方には気をつけたが、これらの感情は相手に伝わったのは間違いない。

相手もそれに対して反発し、喧々諤々の言い合いとなった。


そして、俺は精神力を相当消耗し、しばらくの間、抑鬱状態に陥ってしまった。

抑鬱状態になってしまったので、いつもの悲観、不安が襲ってきて、思考抑止となり、生活に支障を来した。


このままではいけない、これからもこういう「アホ」と戦う場面があるから、対策を練らなければいけないと思ったところ、同志から、元参議院議員の田村耕太郎さんの著作『頭に来てもアホとは戦うなー人間関係を思い通りにし、最高のパフォーマンスを実現する方法ー』を紹介していただいたので、読んでみた。

 

 

アホと戦わず、心の平静を保つ術の驚くべき効用…期待値をコントロールし、自分を崖っぷちに追い込まない

 



アホと戦わないためにはどうすれば良いのかを学ぼうと読んだのだが、読み終わってみて、アホというのは自分自身のことだったと気づいたのだ。

つまり、アホと戦ってしまっていた自分がナイーブな子どもなのであり、自分の人生の貴重なリソースを無駄遣いする馬鹿野郎だったのだ。


本書に書かれている大きなメッセージは、私が理解したところでは、


「奇跡のようなたった一度の人生における、時間(特に)、精神力、体力、お金という限られた資源を、戦略的に準備・計画し、有意義に使い切って、自分自身の人生に対して心からの納得するような幸せな人生を生きよう」


というとても前向きなものだ。

 

 
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1.アホとは俺自身のことだった

 

 

アホと戦わない(本書では『孫子の兵法』から「非戦」をすすめている。)ということは、この限られた資源を無駄遣いせずに、自分自身のために使うということである。

それができず、他人の意見や評価に反応して自分を見失い、抑鬱になって命を削ってきていた自分はアホだったのだ。


ナイーブ(子どもっぽい)だから、アホの言動に反応して、アホ以外でも様々な情報をまともに受け止めて反応してしまっていた。

あいつは許せない、仕返ししてやる、論破してやる、これらの反応は精神が未成熟だからであり、自分を見失っているからなのだ。

また、指摘されてしまった俺はダメな人間なんだ、嫌われてしまった、という歪んだ認知で反応するのも、自分を見失っているからなのだ。


本書では、「成功する人は,常に自分を見失わない。失敗する人は,自分を見失う。無駄なプライド,妙なプライドが自分を見失わさせる。」と書いてある。

まさに、ちょっと仕事で評価されたからといって、ちょっと人事で認められたからといって、等身大の自分を見失っていたのは俺自身に他ならない。


たった一度の奇跡のような人生を思い切り使い切るために、最も無駄であり、百害あって一利無しなのは、妙なプライドなのだ。これを断ち切るには、常に等身大の自分を冷静に見つめ、そこから遊離せず、目標に集中すること。

本来戦うべきは、要らぬプライドを持ってしまっている自分自身なのだ。




 

2.すぐに一喜一憂(反応しない)

 


自動思考にとらわれて、すぐに反応しないこと。


嫌なことがあっても、何か仕事を振られても、すぐに反応せずに、グッと受け止めよう。

リアクションするよりも、まずはじっくりと受け止めてよく考えることだ。

早めのリアクションは常に良くない。


俺は、人の発言に、すぐに反応してしまって、自分勝手な自動思考にとらわれて、反射的にメンタルを壊していた。


相手からの批判や注意の言葉を受け止めるときに、こちらが卑屈になる必要はない。

「自分が悪いんだ」「責任は自分のほうにある」などとまで過剰に思い込む必要は無い。


自分をどこまで信じることができるのか(自信を持てるのか)が人生の分かれ道。

自分自身を信じることが、「自信」なんだ。


物事に一喜一憂せずに、淡々としているのが重要なのだろう。

うまくいかないことがあっても、それくらいのことは人生当たり前にある、と平然としていよう。

それが「余裕」にもなる。




3.相手の気持ちを考えること



本書では、「相手の気持ちを見抜く力」が最高の能力と説く。

まずは相手の気持ちを考えることだ。アホも自分の目的のために動かせるようになる。


相手を徹底的にリサーチして、相手がどういう経歴・育ちであるか知ること。シミュレーション。

相手の行動が理解でき、どうすれば自分の思い通りに動かせるか見えてくる。


苦手な人間は丁寧に接する。

腰を高くして良いことなど、何一つとしてない(俺の仕事の仲間でも、腰が本当に低くて謙虚な人が多いが、彼らこそ本当に頭の良い人達なのである)。


「実るほど,頭を垂れる稲穂かな」
こうした、うまく立ち回っている人たちは、憎む対象ではなく、学ぶ対象なのだ。



4.自分の人生を生きること。



死ぬときに後悔することとして、以下のように思う方が多いとのこと。


他人の期待に応えようとするばかりの人生ではなく,自分が真に生きたいと思う人生を生きる勇気を持っていたかった。

I wish I'd had the courage to live a life true to myself, not the life others expected of me.


今自分が他者からどう見られているかなんて、人生の最後から逆算すればどうでもよい途中経過である。そんなものにとらわれているのは時間とエネルギーの無駄。


「人に好かれたい」と思って自分の人生を生きなかったら、その時間は無駄。

誰かから嫌われるのが怖くて、自分の言動を制限してしまったり、顔色を窺ったり、変に気を遣う、これがストレスの根源。


アホと戦ったり、他人の目を気にしたりという雑念により、自らをおかしてしまう責任は自分自身にある。

他人を見て焦ったりするときは、自分との向き合いが足りない。自分を見失っていると他人が気になる。関心を他人から自分の頭の中に向ける。


時というのは平等にあるのに、使い方次第で人生は大きく変わる。

時間をうまく使うために、自分自身と向き合って、作戦会議する時間を持つこと。


人生の幸せは、自分自身の自分自身に対する心からの納得にしかなく、納得は自分の大切な基準が満たされることで初めて生まれる。

「自分は何が満たされたら、納得がいくのか」を自分と正直に真正面から向き合い確認しておく必要がある。


人生の意義は、死ぬときの自分の達成感なのだ。





本書を鬱に効く本として紹介したのは、前向きに生きることを教えてくれる本だったからだ。
人生を前向きに生き、鬱が入り込む余地を与えないようにしたい。