以前のブログでは、境界性パーソナリティ障害は、決して性格が悪いということではなく、後天的に発症する障害であると書いた。






その根本的な原因は、愛情や関心への強い飢餓感であり、おそらく、両親が毒親だったり機能不全家族で育ったりなど、幼少期の親子関係・家族関係に問題があって、日常生活の出来事がきかっけとなって発症するものだ。


逆を言えば、両親、特に母親から、自分の良い面だけではなく、弱くて醜くくて情けなくて無様な面も全部含めて丸ごと受け入れてもらえるような認証体験と共に育った子であれば、境界性パーソナリティ障害は発症しづらいものではないかと考えれれる。


images



今回も、境界性パーソナリティ障害の心理について、岡田氏の著書をベースに書いていきたい。




ちなみに、俺は境界性パーソナリティ障害と診断されたことはないのだが、この心理で自分に当てはまることがいくつかあったので、その心理に立ち向かうアクションプランについても書きたい。




3 境界性パーソナリティ障害の人はどのような心理なのか


(1)枠組みのない状況が苦手

心理の一つとして、構造がはっきりとしている状況では、問題なく物事を認識し行動することができるが、構造が曖昧な場合には、混乱を生じやすいということがある。


ルールや規則、手順などの枠組み(フレーム)がはっきしていれば問題ないのだが、それらがないような状況が苦手で、情緒が不安定になり、情動のコントロールができなくなるというものだ。要は、心が混乱してしまうのだろう。


俺も似たようなところがあり、非定型業務が苦手だという記事を2年前に書いている。






決められた手順があるルーティンや、前例や枠組みなどがある企画はできるのだが、何が課題なのか、何が問題なのかを想定し、情報を集めて仮説を立て、課題解決・問題解決のための戦略だったり基準を作っていくような非定型業務は苦手である。苦手というか、そのようなタスクを得た場合、どうしたらいいかわからなくてパニックになってしまう。俺は発達障害(ASD)なので、もともとの脳の仕様的にこれらが苦手というのもある。


アクションプランとしては、やはり紙に書き出すことだろう。何が課題か、どうすればいいか、などを落書きでも良いので紙に書き出してて、とりあえずの枠組み(フレーム)を自分で作ってしまうことだ。それを上司やチームメイトに見てもらってアドバイスをもらうことで、パニックになるのを防ぐことができる。




(2) 自己と他者の境界(自他境界)が曖昧になる

自分と他者との境目が曖昧で、十分に区別できていないことがある。


自分の視点と他者の視点を混同し、自分が好きなものは相手も好き、自分が嫌いなものは相手も嫌いだと思う。自分と相手が別の存在で、自分の感じ方と相手の感じ方、価値観は別々のものだと頭では理解しているし、口では「自分は自分、人は人」と言ったりするものの、気が付かない間に混同している。


さらに、自分の意見を相手が受け入れない場合、相手を罵倒したり、批判したり、「お前はおかしい!」と激情してしまう。あるいは、相手からの意見をそのまま鵜呑みしてしまったり、相手の主張を否定することができず嫌嫌ながら引き受けてしまう、などといったことが起こる。


いつもは普通に仕事・生活できていも、非定型業務にぶち当たるなど、ストレスを受けたときに自他境界が曖昧になりやすい。また、相手が甘えの許される親や恋人だと自他境界の崩れが発現しやすい。






自他境界が曖昧だと、精神的に大パニックである。これを防ぐには、やはりノートに思考や感情を書き出すしかない。


冷静になったら、課題の分離をして、自分の課題と相手の課題とを仕分けする。また、自分にコントロールできないことをコントロールしようと思わない。さらに、自分は何をする必要がないのか、何を考える必要がないのかを理解して頭の中から引き算をする、こういうアクションが必要だ。


俺も今だにストレスがかかると、頭が混乱し、自他境界が曖昧になるときがある。混乱してるな、焦ってるな、と思ったら、とにかく書き出すことが重要だ。




(3)愛情飢餓感があり、基本的安心感がない

自他境界が曖昧な状態というのは極めて精神的に不安定である。


混乱している精神状態は、絶えず心がストレスにさらされているということなので、「基本的安心感」(「無償の愛で自分が受け入れられている」という安心感)が無い。


この曖昧な自他境界と基本的安心感の欠如は、母子分離の段階でのつまずきが影響していることが多いという。母子関係である。安心して母親離れをすることができず、自分を独立した存在として確立することに、強い不安と恐れを覚えてしまうようだ。


本来は子供が親にめーいっぱい甘え、子供の良いところ、悪いところ、優秀なところ、未熟なところ、弱いところ、恥ずかしいところも全部親が受け止めてあげることが、子供への認証となり、子供は基本的安心感を持つ。


他方で、自分の人生で達成できなかったことを子供で達成させようとするリベンジマザーや、親の言うとおりに子供をコントロール・支配しようとする親だと、子供は親に甘えることはできず、基本的安心感が育たない。この場合むしろ、親が子供に甘えている「親子の逆転現象」が起きている。


外見的には子育て熱心な良い家庭のように見えても、子供はそう受け取っていないかもしれない。



(引用)
半分くらいの親たちは、その人に寂しい思いをさせたり、上手に愛してやることができなかったことを認める一方で、残り半分くらいの親たちは、自分はこの子のために精一杯頑張ってきたつもりなのだがと、腑に落ちない顔をする。
この子は、昔からわがままで、強情で、どれだけ手を焼かされてきたか、困りものだったかと強調することもある。
そうした両親に共通するのは、とても常識的で、倫理的にもきちんとしているが、自分たちの視点からしか相手のことを考えられず、その子の視点に立って気持ちを汲むということができにくいということである。
両親のどちらかが、情動的に過剰反応しやすく、自分の基準と違うことをすると、許すことができず、見捨てると脅したり、全否定するような言い方で責め立ててきたということも多い。親の側には、その子に正しいことを教え、導こうとして一生懸命だったという思いしかない。



境界性パーソナリティ障害は、母子関係で不認証環境だったということが原因になっていることも多いという。


これを克服するのは大変難しいが、自分がしっかりと自己分析して、母親との完全の素の状態で話し合い、過去の不認証体験をお互いに理解し、とても時間がかかることだと思うが「和解」するしかないのではないかと思う。それがもう叶わない状況であれば、自分が自分のことをありのままに抱きしめてあげることだろう。









(4)極端な思考

境界性パーソナリティ障害は、情動のコントロールが苦手である。相手の発現、日常の出来事を過剰反応し、「わっ!」とびっくりしてパニックになってしまう。このパニックは怒りだったり、抑うつだったり、焦燥感だったりするだろう。


さらに、認知という観点で見ると、両極端で二分法的に陥りやすい。黒か白か、0%か100%か、成功か失敗か、敵か味方かというように、中間がなく、両極的な見方に偏ってしまう。


この状況はつらい。他者境界が曖昧になっていると、相手の課題でさえも、俺のせいなんだ!と自責してしまうし、仕事が成功した場合も、ちょっとした段取りの不手際から、「失敗だった!」と極端な認知を持ってしまう。


これを解決するには、認知行動療法を実践していくしかない。






もちろん、いきなり認知行動療法を実践するのは仰々しいので、何度も書いているように、紙に自分の感情と思考を書き出すのが良い。


まず、自分の認知の歪み、認知の二分化・極端化に気がつくことが。気がついて、修整する、の繰り返し以外に改善はない。


自分の認知を変えていくことができれば、世の中の見え方、受け止め方は全く異なったものとなり、あれだけ複雑で悪意に満ちた人間の世界が、シンプルなplaygroundのように思えてリラックスして暮らせる日がくる。






長くなってしまったが、岡田氏の著書には、より境界性パーソナリティ障害の心理について詳しく書いてあるので、ぜひ読んでみてほしい。



それにしても、俺の鬱病闘病時代の心理と驚くほどの類似点があるし、今でもストレスがかかって発言する心理状態である。自分の日々の認知を再点検する良いきっかけとなった。



次回は、境界性パーソナリティ障害の社会的背景、発症しやすい性格等について書いていこうと思う。